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太宰府 水城跡

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太宰府 水城跡_a0042310_2129245.jpg太宰府水城跡の写真集です。
博多方面から太宰府市に入ると直ぐに道路や線路を横切って木立に覆われ左右に長く続く丘が見えます。
それが664年、唐と新羅の攻撃に備えて築かれた防衛施設水城です。
 その規模は全長1.2km、基底部の幅約77m、高さ約9m、すべて人の手で築いた人工の土塁(土の堤防)で、その名のとおり海側(博多側)に幅60m、深さ4mの外濠を造り、水を貯えました。(この画像のみ太宰府市からお借りしました)



20071013<使用カメラ:Nikon D70s>

説明板が設置されていました、先ずはここをお読みください
興味がない方は、単なる林の丘のようなものに見えて面白くないでしょうが、せめて歴史だけでも感じていただければと思い、説明文と図解の看板を写しました
↓ 写真をクリックすれば拡大して読めます ↓
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↓ この画像もクリックで拡大します ↓
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↓ yahoo!空からです
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↓ 土塁の上を歩きました ↓
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↓ 左が土塁で右が博多側(かつては大きな濠があったそうです) ↓
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↓ 秋の桜が咲いていました ↓
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↓ 太宰府側から ↓
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↓ 土塁を貫通して水を引く”木樋”二枚目の画像を参照ください ↓
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↓ 土塁の断面(道路に寸断されています) 高さが見えますか? ↓
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↓ yahoo!地図です
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↑↓ 同じアングルからの地図と写真です
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・shiori22sさん ・ayaghannさん ・李音さん ・ホマンさん
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by kotomachi | 2007-10-19 22:06 | 太宰府 水城跡 | Comments(4)

Commented by shiori22s at 2007-10-21 21:34
テルさん、こんばんは~。
ブログに新しい写真が入りましたね。
唐と新羅の攻撃に備えて築かれた防衛施設水城だそうですが、ちょっと
ビンと来ないのですが・・・でもじっくり読んだら少しずつ理解出来ました。もう少し読んで理解深めますね。^^
その中でも十月桜が綺麗でした。

☆ジョイントのホールの庭に十月桜
           響く歌声聴き入るごとく

★水城跡にひっそり咲ける十月桜
        可憐な花にそっと口付けす

私達が歌ってホールの庭にも咲いていました。可憐な姿が良いですね。
太宰府の事が又ひとつ勉強になりました♪
有難うございました!
Commented by ayaghann at 2007-10-22 13:45
テルさんこんにちは。664年にこんな大事業が行われていたんですね~
唐と新羅、今から1500年以上前のことを想像すると、あたまがぼーっとしてきました。
今では、敷物をひいておにぎりでも食べたいような場所になってますね。

Commented by 李音 at 2007-10-23 23:27 x
テルさん お邪魔します。

高さ10メートルを超える人口の水城 1350年も前の技術 巨大な木樋が使われてる素晴らしいですね
桜が咲いてましたか この道を古の人が歩いたのでしょうか・・・
居ながらにして歴史を教えて頂きました。 有り難うございました。
Commented by ホマン at 2007-10-25 18:31 x
664年、唐と新羅の攻撃に備えて築かれた防衛施設水城を人力作業で作り上げたのは凄いものですね。土塁が崩れないように木、葉などを敷き土もいろんな種類の土砂を敷く知恵は当時としては素晴らしい考え方ですね。まるでエジプトのピラミッドを作る作業と同じようなものかな・・と感心しながら拝見しました。

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